
本日は誰もが夢見る結婚指輪について語りたい。
質問者:プラチナ素材の結婚指輪が、欧米ではマイナーなのは真実ですか?
それは真実である。そもそも論だがゴールドよりもプラチナを好む傾向は日本人の独特の価値観によるものといわれている。
結婚指輪のプラチナ仕様は、ほぼ日本が独壇場といっても良い。欧米ではジュエリー=ゴールドが主流であり、プラチナのジュエリーはあまり見かけない。

ではなぜ日本人がゴールドの輝きよりも銀の輝きのような地味なプラチナを好むのかといえば、その旗振り役は明治時代の芸者だと言われている。
TVやスマホのない時代、まさに彼女たちは今で言うところの芸能界のトップクラスの女優陣であったということを認識をしてもらいたい。

そもそも外来文化であるジュエリーが日本に輸入されたのは文明開化の明治以降のことであるが、それ以前にダイヤモンドは仏教伝来により金剛石という和名で日本でも広く知られていた経緯がある。
従ってジュエリーにダイヤモンドをあしらうことに対しては、さほど抵抗感なく日本人は受け入れていた。

プラチナ素材の普及は和のジュエリーにあり
話を本題に戻すが、当時の芸者たちが和装に似合う帯留めやかんざし等の装飾品にダイヤモンドをあしらったジュエリーを求めたということが日本でプラチナがメジャーなジュエリー素材になったという事実がある。

なぜなら明治の宝石商たちは、日本人女性が芸者の影響もあってジュエリーの中でもダイヤモンドとプラチナを好む傾向があることを見抜いていた。
そのなかでもダイヤモンドの輝きが最も映える地金素材がプラチナであり、宝石商の販売戦略が功を奏し、プラチナがジュエリーとして普及していった。
なにもプラチナを好んだのは女性陣だけではなく、明治の男性陣もゴールドよりもプラチナを好んだ実話がある。
明治のサムライの必需品こそプラチナ素材
明治の紳士のステータスとして懐中時計の存在がある。日本でプラチナがメジャーなジュエリー素材になったという事実にかかせないので、ここで述べておきたい。
文明開化の明治以降、日本では和装以外に紳士服が普及しその洋服に会うステータス素材として鎖付きの懐中時計が財界人の中で流行した。
その時計の素材がプラチナであったこと、当時プラチナは非常に高価で財産的価値が高いという理由で高級時計の素材に採用された金属でもあった。

かつて江戸時代の武士が刀の鍔(つば)に伊達な男気を表現していたように、明治時代の日本人男性は鎖付きの懐中時計に伊達な男気を求めたといっても過言ではない。
真珠こそプラチナ素材の立役者
そして最後に国内の真珠メーカーのMIKIMOTOの世界的な成功があったことも忘れることができない一因だ。
MIKIMOTOの世界的な成功は、やがてMIKIMOTOが皇室の御用達ジュエラーとしてその地位を築くことに貢献する。
やがて彼らはプラチナ素材のティアラを皇室に献上することになり日本ジュエリー界において、皇室の存在も加味しプラチナ素材がメジャーになった理由の一つといえる。

以後日本ではダイヤモンドとプラチナ=ジュエリーという固定概念が数十年の間に醸成され、結婚指輪の素材としても主流となり現在にいたるわけだ。


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