
第二話:セレクトショップでの苦闘
思えば中古ブランドのセレクトショップの経営は2005年頃だったと思う。
父親が経営する神戸市の惣菜屋FCの仕事に専従しても「無給労働」になることから、イケゾエ兄弟は中古ブランド品の売買業務を自ら行うことにした。家業を食品事業とブランド品事業の二事業に分けた。
営業場所は姫路駅前の商業テナントビルだ。
このときイケゾエガレ&ロミオ兄弟は25歳前後になっていた。


兄弟の最初の仕事は、ハイブランドといわれる高級ブランド品の名前と歴史を知ることから始まった。
エルメスをヘルメスと言い間違えたり、グッチをゴッチと言い間違え、最初は素人同然だった。
そんな最中だった。
父親マサトが神戸市の惣菜屋FCを辞めて、イケゾエガレ&ロミオ兄弟の仕事をいきなり手伝いたいと言い出した。
実際のところ「手伝いたい」とは方便であって、事の真実は「惣菜屋FCを事業精算した。だからお前たちの事業の利益から実家に生活費をいれろ!」とのことだった。

まさに兄弟にとって「青天の霹靂」であった。
一家の経済が今度はイケゾエガレ&ロミオ兄弟にのしかかってくる事になったからだ。
父親の言い分は「自分が稼いだ金でお前たちは商売をしている。わしは出資者としてその利益を得る権利がある」という出資者気取りでイケゾエガレ&ロミオ兄弟に利益配分を求めてきたわけだ。
この滅茶苦茶なロジックが通るのは、従業員に給料をきちんと支払っていることが前提なのだが、父親マサトにはそれが一切ない。
「これは惣菜屋FCとまったく同じじゃないか、冗談じゃないぞ!」と兄弟は怒りが沸々と湧いたが、家族としても無視することもできず、その要望を渋々受け入れた。

イケゾエガレ&ロミオ兄弟の想いとは裏腹に父親マサトは悩みに悩んだ挙句、セレクトショップの空きスペースを有効活用し、私設私書箱業務のFCに参入し、姫路駅前にて私書箱業務を密かに営んだ。
この私書箱業務は「住所を知らせたくない顧客に対し、住所を貸しだす代わりに契約料として利益を得る業務」だが、この事業がイケゾエ家にのちに大きな災いをもたらすことになるとは、このとき一体誰が想像しただろうか。
このままでは惣菜FC店の時の待遇と同じ二の舞になることを避けるため、そこでイケゾエガレはネットで知り得たある知人を頼りにブランド品以外に売れ筋商品の発掘仕入のために中国深圳・香港に行くことにした。


なぜ中国深圳・香港なのかといえば、当時世界で一番「投資マネー」が流れていた国が中華人民共和国だったからだ。
今でこそ中国は米国に次ぐ「世界第二の経済大国」ではあるが、活きた経済を学ぶためには「世界で一番投資マネーが流れている中国で経済を肌をもって感じるべきだ」というのが、イケゾエガレが中国に遊学した最大の理由だ。

こうしてセレクトショップの経営はイケゾエロミオの双肩にかかることになった。
セレクトショップでの業務内容は、来店者からブランド品を買取り修理し(ときには仲間卸で仕入れ)、個人事業主として出店した楽天市場などのECモールで販売すること。極めて単純にして簡単な内容だった。
そしてそこでイケゾエロミオは、仕入れから販売、成長のため目標達成方法(PDCA)など経営の鉄則を学ぶことになる。

活きた経済学を学ぶため、中国に遊学したガレが仕入れで苦闘している事を知っていたロミオは、ガレの商材に依存せず儲かる商材として「宝石」を販売することを計画していた。

有言実行をモットーとしていたイケゾエロミオは、数か月後にセレクトショップ経営の傍ら大阪の宝石専門学校に通学し、宝石のイロハを学ぶことになった。
その努力も残念ながら、半年後にある事件をきっかけに学費が払えずに自主退学をすることになるのだが…。

一方、イケゾエガレは現地の人間と日本人との間での取引に巻き込まれ、しばらくの間、深圳で一時「軟禁状態に近い状態」にあった。
第三話
偽物ブランドをつかまされたどん底に続く..。
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