本日はジュエリーのデザイン、つまり「宝飾品の設計」について大変に興味深い質問を頂いたので答えていきたく思う。
この質問はとても奥深い内容だといえるので、ジュエリーデザイナーを心がける者は留意して読んでほしい。
今回の質問者は民藝運動の創始者である柳宗悦先生が提唱する「民藝美」という美学に関して、ジュエリーにも存在するのかという質問である。
質問者は某芸術大学に通っている現役芸大生からの質問だ。
民藝品の美意識とは、「無名の職人による手仕事による日常的な美」というものが根底にあるわけだが、それを柳先生は「用の美」として民藝運動の根底に据えているわけだ。
また大正時代に生まれた日本独特のこの美の流れは、令和の時代にあっても現在進行形で続いており、民藝という言葉自体は決して「死語」ではなく、大衆文化や芸術を示唆する専門用語として広く根付いている。
解釈というよりも表現方法として分かりやすく現代的に例えるとすれば、 大衆文化という観点から「民藝」は「ハンドメイド」というニュアンスに若干近いのかもしれない。
この大衆文化の美のなかに宝飾品という資産価値を有しながら、ブルジョアやセレブティのようなイメージを醸し出すジュエリー芸術が民藝に位置するかどうかは定かではない。
しかしジュエリー製品自体を脇に置いて、デザインという分野のみに置いて考えるとき、広域な意味ではジュエリーも民藝運動の流れに位置できるのかもしれない。
ジュエリーデザイン、つまり「宝飾品の意匠設計」ではあるが、日本人と西洋人の感覚的美意識が大きく作用する分野といえる。
そもそも論ではあるがジュエリーとは、明治以降に輸入された豪華絢爛たる舶来文化であり、華美の極みといえよう。
どちらかといえば民芸品というよりも、「琳派」という華美を意味する装飾性あふれる工芸品の方が近いのかもしれない。
私たち日本人は茶道を中心として、武士・町人文化の歴史の中に「侘び・寂び」の生活文化(生活習慣)を生み出し、四季折々の美意識を楽しんできた経緯がある。
民藝とは、そのなかで近代に醸成された「美意識」といえる。
「用の美」というのは、デザインされた工芸品のなかに素朴だが純粋に美しく感じる感性であり、冒頭でも述べたが民藝運動の根底に据えられている譲ることができない美学だ。
つまりジュエリーのなかに用の美(機能美)があるのかと読者諸君に問われたならば、率直に申し上げると「回答に困る」というのが現実的な返答だ。
なぜなら「用の美」というのは、調和した美というよりも「和洋折衷のような違和感のない奥深い美意識」といえるからだ。
言い換えれば用の美とは「デザイナーによる遊び心」ともいえる。
一見、審美的には無駄に見えるデザインだが、なくてはならない「静かな主張」とも呼べるものであり、個々の製品において製品を形作る実用性の豊かさといえる。
楽焼の第15代目当主の楽直入氏の言葉を拝借すれば、用とは「優しさ」のことだろう。
ジュエリーの世界に置き換えれば用とは「身に着ける優しいジュエリー」ともいえる。それはSDGsに基づいた環境と人においても良い意味合いを兼ねていると思う。
私たちイケゾエガレ&ロミオも、ジュエリーとして必要不可欠な要素(審美性)は堅持しながらも日々、ジュエリーのなかに民藝的要素である「用の美(実用性と優しさを兼ね備えた美意識)」を取り入れるため研鑽中だ。
イケゾエガレは現代アールヌーボー様式美を追求し、イケゾエロミオは現在アールデコ様式美を日々追及している。
ジュエリーのなかに「用の美」の魂の息吹を吹き込むことは、日本人デザイナーとして永遠の課題ともいえる。というのも設計(デザイン)とは時代の先駆けであり、進歩とは後からついてくるものなのかもしれないからだ。
以上が本質問に対する私たちの答えであり、諸君の知識を深めるうえで参考になれば幸いである。
ジュエリーは民藝のような工芸品ですか?