

宝飾デザイナーのイケゾエロミオが提唱する「琳派寂」についての質問だ。
琳派寂は「りんぱさび」と呼称する。

米国スミソニアン国立アジア美術館 所蔵 俵屋宗達 《六曲一隻 扇面散図屏風》(17世紀初期)
この聞きなれない単語は、イケゾエロミオによる造語であるため、読者諸君にとって初めて耳にするという人も多いかと思う。

もちろん辞書やWikipedia、ネットのAI機能を用いて検索をしても琳派寂の「正しい答え」を導き出すことは非常に困難だろう。
率直に言えば、彼の作品スタイルが「琳派寂(りんぱさび)」なのである。

本阿弥光悦 《赤楽茶碗 銘 雪峯》(17世紀初期)重文
「寂び」と言えば、一番最初に思い浮かぶのが「侘び寂」だろう。
侘び寂、それは茶聖で知られ、戦国の安土桃山時代にその名を残した千利休より生まれし「茶道の美意識」である。

端的に言えば「数百年の歴史ある茶道の美的感覚」である。
イケゾエロミオが提唱する琳派寂は、漢字表記から「侘び寂の範疇内の美意識」と思われがちではあるが、彼自身は明確に否定している。

中世以前は「侘び寂」は、もともと「侘び」と「寂び」の分離した美的感覚であったが、千利休により、これら二つの美意識を「茶の湯」のなかで体現化させ、「未完成の美」もしくは「無常」という概念の完成に至らしめた。

この未完成の美は千家一門によって、今日にまでその精神性を継承し発展させ、「侘び寂」は現在進行形の「日本特有の美的感覚」として定着している。

ちなみに侘び寂の「侘び」とは、簡素さや不完全性のなかに「精神的な豊かさ」や「趣」を見出す美意識「内面的な美的感覚」といえよう。
一方、「寂(さび)」は時間の経過やそれに基づく「静寂」に「味わい深さ」や「美」を感じる概念であり、いわば「外面的な美的感覚」といえる。

内面的・外面的な美意識、それが侘び寂である。
そこから華美に特化した美意識がある。

それが戦国大名である小堀遠州が発展させた美意識「綺麗さび」であり、侘び寂のなかの「枝分かれした美意識」であり、あくまでも千利休による美意識の「侘び寂の範疇」に留まる。

それに対してイケゾエロミオの「琳派寂」は、侘び寂の範疇外といえる。

伝本阿弥光悦 《檜鹿蒔絵硯箱》(17世紀)
そこで琳派寂を形成している美意識「琳派」を説明しよう。
琳派とは安土桃山時代末期に俵屋宗達・本阿弥光悦の両名を創始とし、彼らの仕事に感銘を受けた後輩たちが私淑により代々継承され続けた装飾的な日本美術および工芸芸術の様式美である。
それは日本美術を代表する様式美の一つとして、社会的に公認されている美意識である。

尾形光琳 《住之江蒔絵硯箱》(18世紀)重文
イケゾエロミオの美意識である琳派寂は、琳派 + 侘び寂 という概念であるが単純に琳派に侘び寂を足し算した中途半端な美意識ではない。

五島美術館蔵 所蔵 尾形乾山
《色絵菊図向付》(18世紀)
正しくは琳派 + 侘び寂 ÷ 美意識 という方程式のほうが近いと思える。

酒井抱一《秋草鶉図》(19世紀)重要美術品
なぜなら侘び寂のなかの「綺麗さび」である小堀遠州の美意識と違い、琳派寂とは一つの画面の中に「琳派」と「侘び寂」が渾然一体として、それぞれの特徴を活かして共存している。

山種美術館 所蔵 鈴木基一
《二曲一双 四季花鳥図》(19世紀)
ちなみに渾然一体とは複数のものが溶け合って調和し、一つになって区別がつかない状態のことを表現する四字熟語である。

エツコ&ジョー・プライスコレクション 所蔵
鈴木基一《二曲一双 群鶴図屛風》(19世紀)
光と影のように一見独立したバラバラな要素が一定の高い水準で見事に一つに調和し、美しい風景を生み出しているのがイケゾエロミオの美意識である琳派寂といえる。

琳派寂をジュエリーで例えると宝石の代表格であるダイヤモンドの輝きというよりも幽玄にして凛とした輝きをもつ黒蝶真珠のような現代アール・デコ様式美の美しさといえる。





















イケゾエロミオさんの提唱する「琳派寂」って何ですか?